Story 01
自然
貴重な動植物の生命を
育む奇跡の場所
「生命の恵み・釧路湿原」
釧路湿原国立公園は、国内最大の泥炭性草原湿地からなる国立公園。総面積は220.7㎢にもおよび、約700種の植物と約1,300種の生き物が生息し、さまざまな動植物の貴重な生息地にもなっています。手つかずの広大な水平的景観はこの地の何よりの魅力です。
ここには今から約100年前の1924年、絶滅したと思われたタンチョウが生息していることが発見されました。日本で繁殖する唯一のツル・タンチョウは、1952年に日本の特別天然記念物として保護されるようになります。
釧路湿原は、約6,000年前は湿地帯ではなく、今よりも温暖な海であったことがわかっています。周辺には先史時代から漁や狩りをした人間の営みの跡があり、縄文時代などの住居が復元されている場所も存在しています。
湿地帯には 4mものピート(野草や水生植物などが堆積してできた泥炭)があります。ピートは1年で1㎜の厚さになるので、4,000年前から湿地帯であったことが分かります。
湿原を中心とする初の国立公園の誕生は、かつて「不毛の地」と呼ばれた湿原の自然環境に対する価値が地域の活動を通して見出された結果、日本で最初のラムサール条約登録湿地となり、日本の国立公園史に新たな歴史を刻んだ出来事といえます。
1992年、当時の英国のフィリップ殿下が国際自然保護基金の会長として視察に訪れ、自然保護の観点から守るべき重要な地域であるという主張をされました。釧路湿原は、先史時代の人々や野生動物から見れば「楽園で豊かな地」であることに、私たちはあらためて気づかされました。
また、「自然の遊水地」として釧路市街を洪水から守る役割や水質を浄化する役割など、地域住民の暮らしにとっても大きな意義を持つため、将来にわたって保全することが重要です。
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景観を未来へつなぐ阿寒の保全活動
国から国立公園として「阿寒国立公園」(現:「阿寒摩周国立公園」)が指定された1934年より前から、阿寒の森林保全に取り組んできたのが、阿寒湖周辺に広大な土地を持つ「前田一歩園財団」です。前田一歩園の初代園主・前田正名氏が阿寒湖周辺の土地を国から買い上げたのは1906年のこと。国立公園の指定を受ける約30年前になります。買い上げた当初の目的は、土地の農場・牧場化でした。しかし、阿寒湖一帯の大自然の景観に深い感銘を受けた前田正名氏は晩年「この山は、伐る山から観る山にすべきである」と語っており、その思いを引き継ぎ、そこから100年以上、「前田一歩園財団」は管理する土地を「復元の森」として守り続けてきました。阿寒に手つかずの原生林が今も残っているのは、こうした人々の献身的努力の賜物でもあります。
Story 02
文化
日本の食を支える港町
日本の中では、釧路の海産物は美味しいと有名です。それは、釧路沖に豊かな漁場があり、釧路港が日本有数の漁業基地となっているからです。かつては日本一の漁獲量を誇る水揚港で、釧路市内には北海道3大市場に数えられる「和商市場」があり、旬の時期にはカニやトキシラズ、サンマやシシャモなど、北海道を代表する鮮魚が販売されています。
また、客席に囲まれた囲炉裏で店員が魚介類や野菜などを炭火で焼き提供する日本料理「炉ばた焼き」など、港町ならではの食文化を楽しむことができます。
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あらゆるものと共生する、
アイヌ民族の精神性北海道の先住民族である「アイヌ民族」は、あらゆる存在に魂が宿ると考え、中でも自然の恵み、人間が生きていく上で欠かすことのできないものや人知を超えたものを「カムイ(神)」として敬ってきました。
アイヌ民族には、「天から役目なしに降ろされたものはひとつもない」という意味のことわざがあります。 この世にある自然現象・動植物や道具などは全て、神の世から人の世に役立てるため送られてくるものという考え方であり、どんなことに対しても感謝の念を忘れず、自然を含めあらゆるものと共生してきたアイヌ民族の精神性を表しています。 -
阿寒湖温泉で1950 年から続く「まりも祭り」は、盗採・密売 が横行するなどして絶滅の危機に瀕した「阿寒湖のマリモ」を守 ろうと、地域を挙げて始まったもので、以来毎年秋に行われる地 域を代表する祭りとなりました。
開始当初から、アイヌ民族の伝統儀式「カムイノミ」を行い、マリモを通して大自然の神々に敬虔な祈りが捧げられています。
マリモのため、地域のためにと、あらゆる人たちが手を取り合い続くこの祭りからも、「共生」の哲学が感じ取れます。